August 28, 2006

初めて「松島基地航空祭」へ行く

昨日(8月27日)開催されていた航空自衛隊松島基地航空祭を見に行くため、
8月26日~27日に、松島基地(宮城県)まで行ってきました。

今まで、エアーショー(航空祭)は、現在居住している場所の近隣である航空自衛隊入間基地にしか出向いたことがなく、

松島基地航空祭観賞は、
初めて、入間基地以外の自衛隊基地に於いての航空祭へ、
足を伸ばしたことになります(^^ゞ

今年は、力を入れて、各地の航空祭(エアーショー)を見に行こうと、
年頭には意気込んでいたのですが、、、

年初から体調を崩してしまって、
4月22日に、ツインリンクもてぎにて開催された“インディジャパン300マイル”の決勝戦日のオープニング時に行なわれる、ブルーインパルス(Blue Impulse)の編隊連携機動飛行を見た以降は、
空自絡みのイヴェントを見に行くことが出来ないでおりました(T_T)

(本当は、7月30日に行なわれた百里の航空祭にも、実は行きたかったのに、行けなかった…(;_;))

私は、特にブルー(ブルーインパルス(Blue Impulse))の熱狂的ファンという訳ではないのですが、
ブルーインパルスの曲技飛行には、やはり素直に心を動かされるモノを感じるわけで、、、(^^ゞ

航空自衛隊アクロバットチーム“ブルーインパルス”こと、

“第11飛行隊”


の所属基地である「航空自衛隊松島基地」の航空祭には、
前々から、是非是非、行って見たいと思っていました。

その念願がようやく今回(今年・2006年度)叶い、
しかも、
私の日頃の“行い”が良かったのか(?(^^;;)
初めて行った「松島基地航空祭」なのに、天候にも恵まれ、
非常に充実した航空祭およびブルーインパルスの曲技飛行を、
堪能することができました(^^)/

今回の「松島基地航空祭」観賞旅行は、私にとっては、
かなりの強行&ハードスケジュールで、

「松島基地航空祭」が行なわれる“8月27日(日)”の前日に、外来機が松島基地に飛来してくるところを現場で目撃したいがために、
8月26日の土曜日に朝5時起きして、松島基地を目指しました(^^;;

航空祭前日の、外来機飛来の到来状況を目視したい(撮影したい)というためだけではなく、
一度も行ったことの無い「航空自衛隊の松島基地」だったわけで、
前もって下見を航空祭前日にしておきたい!ということも“主要目的”でした。

8月26日(土)の午後1ちょっと前に、松島基地のタキシング(滑走路)が、
よく目視出来る、基地外近くの場所に、右も左も解らない中、
どうにかこうにか勘だけを頼りに歩き周って、何とかたどり着けることが出来、
複数の外来機の飛来模様を目視することに成功しました(^^;;;

松島基地航空祭の前日に飛来してきた外来機の中に、
“入間基地所属”C-1U-4の飛来&着陸を目撃し、

この2つの輸送軍用機のどちらかに、
乗せて着てもらうことが出来るのだったらば、短時間で松島基地に来れて楽なのにぃ~!!
と、しみじみ思ってしまいました(^^;;;;;

入間基地近くに住んでいる私にとって、
C-1やU-4は、常に、自分の住んでいるマンションの近くを飛んでいて、
日常的に目撃している機体であり、騒音が煩く迷惑を蒙っているので、
自分の住まいの上空で、いつも見かけている機体が松島基地に外来機として
飛来してくる様を見ても、感激など全く感じず、
“あれ等”の機体に乗って、松島基地に連れて行ってもらえれば、
どれだけ有り難いものなのか!
という気持ちのほうが、強く感じてしまい、
返って虚しい気持ちになってしまい、なんだか腹立たしくさえ思います(^^ゞ

松島基地航空祭が終了した際も、次々と矢継ぎ早に、外来機が帰投していく様を目撃する中、
C-1やU-4も入間基地に帰っていくのを見かけて、
「その機体に同乗させてもらって、帰りたいよぉ~!!!
 私も連れて帰らせてぇ~っ!!!」
と叫びたくなりました(^^;;;;;

昨夜(8月27日)に、自分が松島基地の航空祭から自宅に帰宅したのは、
深夜24時ぐらいで、
今日は疲れ果てて、おりますです(^^;
(現在、体のあちらこちらが痛くて堪らない状況です)

“とりあえず”松島基地航空祭を見に行ったという報告を、
した次第であります。

松島基地航空祭の話は、また、改めてブログに記述いたします。

P.S.
旅行帰りは、洗濯物やら家の中の片付けが沢山、積算され、
家事が忙しくて目が回ってしまい、ブログなんか書いている暇は、
本当は無いのですが…(^^;;;
目の前の片付けから逃避したくなてしまい、こんな記事を投稿している私です
σ^^;;;

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July 19, 2006

実写映画版『DEATH NOTE デスノート<前編>』には、ガッカリ

7月8日に、実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ』を観に行ったのだが、
その感想を、今まで書けずにいた(^^;

最初から、コミック原作の『DEATH NOTE デスノート』の実写映画化に関しては、
期待などしていなかったのだが、
私の古くからの友人(元同級生)の娘さんが、デスノートの大ファンで、

実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ』が凄く良かった!!!

と、盛んに言うので、
多少期待を持ってしまったのが、どうも拙かっのか…(^^;;;

実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ(前編)』には、
えらくガッカリさせられてしまった。

原作であるコミック(マンガ)版の「デスノート」には、かなり嵌っていた私であったが、
原作・大場つぐみ、漫画・小畑健の「デスノート」の面白みというのは、

キラこと月(ライト)とL(エル)との心理合戦と、
“正義”とはなんなのか?
“善”と“悪”とは何を基準に、己の中に位置付けるのか?

という2点が、重要な“コア(核)”として、
この作品にはあったのだと思うのだが…

実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ(前編)』では、

キラこと月(ライト)が、
脚本の流れとして、早い部分から、“悪”にしか感じ取れない筋書きになってしまっているのが、
どうもいただけない。

実写劇場版「デスノート」に於いては、
藤原竜也が演じている、夜神月(やがみ・らいと)は、
あまりにも“おバカ”で、“エゴ”が先んでてしまい過ぎで、
“悪”にしか見えない展開になってしまっているように感じた。
想像していた以上に、意外と原作のエピソードが生かされていたにも関わらず…(^^;

映画版の、この筋書きでは、キラである夜神月(やがみ・らいと)に対して、
感情移入が「全くできない」ではないか(^^ゞ

その点が、映画版を見てガッカリしてしまった一番の理由である。

あと、原作コミックにも出てくる、FBI捜査官のレイ(配役:細川茂樹)と、
その恋人である元FBI捜査官・南空ナオミ(配役:瀬戸朝香)のエピソードの部分の改変の仕方も、
ダサダサで、幻滅感に拍車をかけられたしまった・・・(T_T)

「土ワイ」「火スペ」のような、2時間TVドラマ的な脚本・演出で、
映画としては、そのエピソード部分は、浮いてしまっている感じを受けてしまい、
“寒い”というか、ゲンナリせざるを得ない感が。。。(^^;;;

原作コミックには、ないキャラクタ・秋野詩織(配役:香椎由宇)も、
私にとっては、蛇足的な余計なキャラにしか感じ取れなかった。

それに、香椎由宇というと、わたし的には、
映画「ローレライ」での、パウラ役の印象が未だに強くて、
どうもしっくり受け入れられなかったのかもしれない。

それと、死神リュークは、上手く再現できていたと感じたが、
中村獅童に、リュークのCVを適用したのは、
ナイスだと思うのだが、わざわざそのボイスにイフェクトをかける必要性があったのかが、
疑問に感じた。

イフェクトをかけずに、そのままの、“中村獅童”の生声を使用したほうが、
リアリティが表現できて良かったのでは?と感じたのは、
私だけではないと思うのだが・・・

実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ(前編)』についての
感想を今まで書けずにいたのは、
最初に記述したように、
友人の娘さんが、
実写映画版『DEATH NOTE デスノート-Ⅰ(前編)』を絶賛していたため、

それに対して、
否定的な意見を、書くのに、気が引けてしまったからである(^^;

ウチの同居人曰く、
「十代半ばの子の“純”な感受性とは、もう我々の年齢には開きがあって、
 ものの見方が違うんだよ」
との一言。。。(^^;;;;

年齢の違いから感想が変わってくるのかなぁ~

少なくとも、世の中の“穢れた”部分は、十代の子と比べれば、
倍以上長く生きている自分達にとっては、世の中の“穢れ”や“裏側”に長くさらされながら生きてきた自分の世代とは、モノ(コト)の見方は、大きな違いが生じてきてしまうのは、
否めないことだとは、思うけど(^^;
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July 01, 2006

不明熱でダウン!でブログ更新できず(;_;)

37℃台の熱が、何ヶ月(何年)も続く、という症状に悩まされるようになったのは、
20代中盤の頃からでした。

37℃以下の熱に下がることがなく、常に37℃~38℃の熱がある状態。
その症状のため、昔、数年間の間、いろんな病院に回されました(^^;

どこの著名な病院を紹介されても、
結局は、原因不明の熱とされ、
どの医者からも、
「ストレスが原因だと思います」
との回答が返ってくるばかり・・・

「その症状に囚われないように」
との指示を医者からは受けるのですが、
私自身は、
別に、気にはしておらず、
ただ、わたしとしては、
「ダルイ」という日常生活上支障をきたす症状の除去だけを望んでいただけなのに…

数年間その体験をしてからは、
もうバカバカしくて、微熱が延々と続く症状がでても医者には、
行かないようになりました(^^;

そして、だるくても、よほどのことがない限り熱すら計ることをしなくなりました(^^;;

それに、熱に対しても、体力的に強く、38℃程度の熱であれば、
無理して仕事ができる(打ち合わせにも出歩ける)ものだったので、
余り熱に対して、気にかけないようになってしまいました(^^ゞ

それが、先週の6月20日の火曜日に、37度5分の熱があったにも関わらず、
エアーバンドレシーバーの購入するために、
アキバ“ラジオセンター”まで行って、
ラジオセンター街をうろついたため、
翌日、高熱を出して、一週間ほど寝込んでしまいました(^^;

せっかく、手に入れた「スタンダード VR-150」
いろいろ弄くり倒して、勉強しようと思っていたのに、
熱のため、朦朧としてしまい、まるまる一週間、動作確認すら出来ない状況に…(;_;)

その後も、37℃台の熱が下がらず、
ちょっと外出するだけで、熱が38℃近くまで上がるという状態が続いています(^^;

自分で気が付かない内に、再び不明熱という症状が発生していたことに気が付いたのが
ここ2週間前ぐらいから…

高熱にならなくとも、37℃台の微熱が、
何週間も続いている状態だと、どんどん体力が奪われてきてしまい、
この状態が続けば続くほど、辛さが増してくるのが困りモノです(^^;

さらに、この季節、
頚椎ヘルニアを抱えている自分にとっては、
首の痛みも酷く、なんだか踏んだり蹴ったり、ボロボロです。。。

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June 19, 2006

歯科治療の前処置の麻酔注射でアナフィラキシーに陥った経験

私が一番最初に遭った医者の手による医療過誤は、10歳未満くらいの頃だったか…
虫歯治療のため歯科医に通っていたときの話です。

ある時、麻酔注射の効果が、なかなか現れないということで、
立て続けに、6~7本の麻酔注射を打たれてしまったのです。

子ども心ながら、内心

“ちょっとそれ、ヤバイくない?”

という不安心を抱きましたが、
案の定、見る見るうちに、息苦しくなってきて、
呼吸困難に陥り、チアノーゼ症状まで出てくる始末。

その状態を見て、焦った歯科医は、酸素マスクを私に装着して。。。

私は、苦しくて苦しくて、意識も混濁状態だったため、
その後の記憶がとても不明瞭です(^^;

ただ、
そこの歯科医院とは、実は、同級生の父上が開院してらっしゃったところであり、

自宅の一角を医院として開業しており、
チアノーゼが治まるまで、自宅のほうの誰だかのベットで休息をとらせてもらった、
という漠然とした記憶だけがあるだけです。

その歯科医院は、私の自宅からは、
電車とバスを乗り継いで45~60分掛かる場所に位置しており、
アナフィラキシー症状およびチアノーゼが治まった後、
どうやって、帰宅したのか???

まったく記憶が欠落しています(^^;;;

そんな目に遭ったため、

「もうあそこの歯医者には行きたくない!」
と母に嘆願したのですけど、
「PTAの付き合いがあるから、それは出来ない」
と却下されてしまい、その後も、その歯医者へ通いつめることに…(T_T)

それがきっかけになったかどうかは、さだかではありませんが、
親も庇護してくれないし、、、

その頃を堺に、

「自分の身を守るのは、自分自身しかないのだ!」

という強く思い知らされた、
と同時に、

“強い医療不信”を抱くようになったのでした。

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June 18, 2006

薬害に対しての無知や非理解者が、薬害を増やしているのではないのか?

薬害やアレルギーの恐さって、命に関わる問題なのに、
その体験を持っていない人にしか理解できないものなのでしょうか?

現実世界のやり取りはもちろん、ネット上に於いても、生死に関わることに対して、
その問題を抱えている人に対して、
揶揄的な表現になってしまうことは出来るだけ注意を払うよう心がけていますが。。。

私は、ブスコパンショックという体質になってしまい、
一般的、腹痛の万能薬として、使用されているブスコパンの投与を医者から行なわれそうになる場合には、自ら“医療過誤”から身を守るため、非常に神経を使っています。

初めて、ブスコパンによってアナフィラキシー症状を起こした医療機関の医者からも、
「必ず、医療にかかる時には、ブスコパンショックである旨を医者に告げること!」
という忠告を受け、それを実行しております。

ブスコパンの代用薬もあるようですが、
坑コリン性鎮系薬の部類に入るものなので、
その服用に関しても安心して服用出きるかどうかは、
アレルギー反応の検査を受けた上でしか使用できません。

それ以前に、一般的な医療機関では、ブスコパンしか用意されていないようなので、
突発的な腹痛に対しての痛みを緩和する対応策がないに等しく、
脂汗を流すほどの“痛み”であっても、ただひたすら、その痛みに耐えるしかないのです。

先日、新たなクリニックに掛かる機会があったのですが、
薬剤師に「既往歴としてブスコパンショック体質である」という旨、
伝えたところ、
その薬剤師さんから「それはとても辛いことですね~」と、
とても気遣ってくださる言葉をかけていただきました。

ブスコパンに関わらず、
薬害にあって後遺症を抱えていらっしゃるような方々は、
薬に対しての不安感や警戒心を強く持つようになる方が殆どです。

私の友人の中にも、子どもの頃、医者から処方された薬のせいで、
薬害にあい、一生涯、片耳が酷い難聴になってしまうという経験の持ち主がおりますが、

彼は、今年に入って、医者から入院治療を促されるほど、
痛風を筆頭に、様々な病状が一気に発症したにも関わらず、
会社を休めるような状況ではなく、
しかも薬による治療に対して、過去の経験から拒否反応を持っているので、
入院を拒み、薬による対処療法も避け、
自宅での家族・奥様の多大なる協力を得ずには行なえない、
しかも治癒に時間が多く食事療法という手段をとっています。

薬害に対して、意識の低い人が、世の中に多く存在することは、
日本の厚生労働省を始めとして医療関係者の体質は変わらず、
被害者ばかりが増えていくことに繋がって行くことだと思います。

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June 16, 2006

子どもの頃に受けた言葉の心の傷は後々大きく引きずるもの

ブログ名「404 Blog Not Found」を立ち上げられていらっしゃるdankogai様から、
指摘されるまで、

“「福田和也」でぐぐると、貴女のentryが二位に来るので”

なんてことに気がついていませんでした。
(それはイヤだなぁ・・・)

今、私自身、精神状態が良くない状態で、ブログ記事を書いてしまったため、
福田和也氏を語るにあたって、支離滅裂な取り留めのない文章になってしまい、
誤解を招くような文面になっていたかもしれません。

ただ、6月8日号の「週刊文春」に於ける、
『阿川佐和子この人に会いたい』という連載の中で、
福田氏が述べていたことは、
十二分に私の中に眠っていた“地雷”を踏むような内容と感じたのは
確かなことです。

抑鬱とした状況の中で、あの彼(福田和也)が発言している内容に関しては、
釈然としないどころか、強い怒りを感じ、どうしても許せない!という感情が先立ち、
書かずには入られないという思いにかれれてしまいました。

dankogai様から、ご指摘されてしまいましたが、

“もう一つ気になるのは、「福田くん」に関して貴女は5 entriesも費やしていること。”

それは、
上手く文章化(文章をまとめることが)できなかったがために、
結果として、多くの投稿になってしまったという、私の落ち度かもしれません。
また、

“他のentriesも拝見しましたが、「福田くん」に関するところだけ「浮いている」ようにも感じました。”

と書かれていらっしゃいますが、
ここ数ヶ月のentriesを拾い読みされてるだけ、だからではないかと。。。

現在の世の中に対して「ごまめの歯軋り的“怒り”」の記事は、多々投稿しておりますし、
ブログを始めた当初、約一年間は、ほぼ毎日記事をUPしたときには、
いろいろ調べた上で、記事を投稿しておりました。
(今は、非常に精神状態が酷い状況なので、ブログの更新を怠ってしまっておりますが…)

私自身、福田君からは嫌な思いを、実際、小・中学校のときに受けておりますし、

私以外に多数の女子が、福田和也氏からイジメ(被害)を蒙っているのは、
虚偽でも、私の妄想でもありません。

今回、あの週刊文春の記事を読んで、
福田和也氏のお茶の水付属時代の言動や、多くの同級生が彼に対しどう感じ取っているかを、
複数名の同級生達に確認をとった上で、
自分のブログに記載させていただいたことです。

それについて、

福田和也氏が、「週刊文春」というメジャー誌上で、
“活字”となっている文章(しかも福田和也は文筆で飯を食っている人物であるわけで)と、

たかが、一介の無名の一般人(私)が、ネット上のブログで書いた文章とを
比較して、

“信憑性”

という言葉を使われてしまうと、困ってしまいます。

なんか、ちょっとそれは、同じ土俵上で比較対照させられる(出きる)ものではないと、
いえませんでしょうか?

“福田和也”なる人物を、彼が書いた物を読んだだけでしか認識していない人と、
実際に交流を持つ人々(彼とは、小・中学校時代のみの関わりに終わっているわけではなく
お茶の水付属時代の人的ネットワークというものは、途切れなく続いている関係にあり)とでは、
同じ立場ではありません。

それに、福田和也氏の永年の友人と、私の永年の友人と、
重複している人物が多数存在しております。

実際、彼(福田和也)と生身で接触したことがない人には、
“福田和也”生い立ちと現在の“彼”が、どういう立ち位置にあったのか、
事実は見えないと思います。

福田和也氏が、今頃、彼が子どもの頃、学校でイジメにあっていたなどという話を
メジャーなメディア上で発言している、
と言う事柄自体が、
福田和也氏が何を被害妄想を抱いているのか?
私には謎ですし、
彼自身が、その小・中の頃に、どれだけ、多くの女子に嫌な思いをさせてきたか?を
忘れてしまっているとしか、
週刊文春の文面からは、残念ながら読み取れませんでした。

小学校の頃の文集に残っている、ある女子がヤケドを負った時に、
福田氏自身が揶揄したことを、彼の中で、
自責の念が少しでも心に残っていたのならば、
中学に進学した後も、相も変わらず、
言葉で、女子に嫌がらせを行なっていたのでしょうか?
(彼の“言葉によるイジメ”は中学3年生まで継続されていました)

現在に至って、
もしほんの少しでも、彼(福田和也)の記憶の中に、
その出来事についてや、反省の気持ちがあれば、
ああいう(週刊文春に掲載されていたような)内容には、
ならなかったと思うのですが、、、、

そう考えるのは、私の間違いなのでしょうか?

あっ、そうだ!彼はその小学校の事件のとき、
叱られはしましたが、体罰は先生から受けておりません。
体罰を受けていないから、彼(福田和也)の記憶から、
消えうせてしまっているのかもしれませんね。
体罰の代わりに、一生残る活字という形で、学校側が編纂・発行した作文集に、
彼女の作文を掲載したのか???
う~む、よく分からん。


私が、一番、問題に感じてしまうのは、
“物書き”として生計を立てている“福田和也”氏が、
「週刊文春」というメジャー誌に、

「お茶の水付属小学校時代、女子にイジメにあっていた」
しかも、その理由が、
「田端という場所で、福田麺機製作所という家業としていたからである」
という、
彼の中で、すり替えが行なわれたとしか感じを得ない「虚偽」の言葉に対してです。

福田和也と実際に日常生活を共にしたこともなく、
彼の書いた著作物しか慮る材料しかもっていらっしゃらない方が、
あれこれと、勝手な妄想を描いて、
知りもしない福田和也氏の過去(幼少時代の行い)について
想像の範疇から超えることが出来ない立場に於いて、

“たぶん彼はいじめもせず、いじめられもせず、成績は優秀でも最優秀というほどでもなく、ねんごろにおだやかに育てられたのでしょう。”

と、自らの“あくまでも憶測”をブログ上で書かれていらっしゃるお方が、

現実に、福田和也氏と面識があるだけでなく、小・中学校時代に、
実際に彼からイジメにあったことがある当事者(私)が、
文書として現存している物的証拠や、福田和也氏と接触を持っている人たちからの
証言の確認をとった上で、ブログに、彼の過去を書いたことに対して、
“信憑性について”の疑念を向けられてしまうというのかが理解できません…

憶測でモノを言うのと、実体験を語ることを比べたとき、
憶測はOK!で、本当のこと書くのはNG?


dankogai様が、実際接触したことのない福田和也氏の書籍を読んで、
福田和也の人物像を、当たらずとも遠からずのことを言い当てていらっしゃるのを
読ませていただき、

実際、福田和也氏と面識を持たない人でも、
彼が著書を読むと、
漠然と、福田氏の人間性を想像できるものなのだなぁ~、
と関心を持ったため、トラバさせていただいたのですが。。。。


“福田和也”という人物がメジャーなのか、マイノリティーに分別されるのか、
世間一般の認識がどうなのかは、正直言って私にはよく判りません。

お茶の水付属に少なくとも小・中まで在籍していた大多数は、
一般の学校と違って、子どもの頃と、今現在との間に、
連続性が保たれた状態の付き合いが存在しているという特殊な環境下にあります。

“しかし、現在の福田和也が当時の「福田くん」に対してどれだけ責任を追い、そして現在の福田和也とどれほど「連続性」があるかというのは、彼の文章でしか彼を知らない私には判断しようがありません。”

と言われてしまうと、ウチの学校の特殊性を知らない人の発言なのだなと、
しみじみ思い知らされます。

福田君が、同級生の「男子」から“福田製麺の息子!”と、
揶揄されていたことがあるのは、記憶にあります。

「福田が、週刊文春に“笑えるおバカ”なことを書いているよ。」
と、
私に教えたヤツがその揶揄を行なっていた張本人の一人なのですから。。。。


彼の幼少時代(幼の頃の彼のことは知りませんが)って、
男子との、喧嘩は避け、常に、福田君がイジメるターゲットは、
弱そうな女子に向けてしか行われていなかったと言うことだけは、
はっきりと断言できます。

また、話がずれてきてしまいましたが、

私が、一番言いたかったことは、

お茶の水付属時代「女の子にいじめられた」
というのは、福田和也氏が勝手に抱いている妄想を、
彼が、「週刊文春」というメジャー誌に書いていると言うことを
私は、問題視しているのです。

どんな嘘であっても、真実はどうであったか?なんてことよりも、
メジャー誌に一方的に書かれてしまったことが、
真実として、世間に認識されてしまう恐ろしさです。

福田君の所為で、お茶の水女子大付属にトラウマを残して去っていった女子生徒は、
多く存在します。
福田和也なんて存在すら思い出したくない、という人たちだっているのです。

福田和也に傷つけられたためお茶の水付属にいい思い出を持てず、
お茶の水付属を嫌いになった女性たちの立場を、
誰が、代弁してあげられるというのでしょう?

その悪役を敢えて、私が買って出たまでです。

福田和也にイジメられてた人たちにとって、
『週刊文集』で福田和也が“小学校時代イジメにあってた”などという
間逆なことを書かれている記事を目にしたら、
その“やるせなさ”は、何処に求めればいいのでしょうか?


余談ではありますが、
「福田がイジメられていただって?福田はイジメをやっていた側じゃないか。
 ○さんが小学校の時、やけどした時に、酷く揶揄したのだって、
 福田だったよ」
と、真っ先に、それを指摘した二人の人物がいるのですが、
くしくも、その二人とも、福田和也と同様ににお茶大付属から、
慶応大学へ進学した人たちでした。

P.S
また、論点が定まらない文章になってしまい、すみませんm(_ _)m
福田和也氏のことについては、もう触れたくない(忘れたい)のに、
トラバという形で、dankogai様から返されてしまったので、
再び、6月8日号の「週刊文春」に関する福田和也氏のことを書く羽目に陥り、
気持ちが暗くなってしまいました。

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June 12, 2006

福田和也に小学校時代、心を傷つけられた少女の作文

福田和也が小学生だった時に、どんなに非道な言葉でクラスメイトの女の子の心を傷つけたのか?

ということについて、
詳しく覚えていた私の男友達がいて、

「Oさんの火傷の跡を福田が誹謗中傷した時のことは、
 Oさん自身が4~5年生の時の作文集の中で書いているよ」

と指摘していたので、
私の手元に残っている小学校時代の作文集の中から、
早速、彼女の作文を探してみたら、
いやー本当に載っていました。

今、その作文を読み返してみると、福田和也から罵声を浴びせられた女の子が、
どれだけ心に傷を負ったかのが、生々しく伝わってきて、、、

作文を書いた彼女とは、現在、私自身付き合いがないので連絡が取れず、
ご本人の承諾を得ることが出来ませんでしたが、

福田和也自身がお茶の水女子大付属小学校時代、
心無い言葉を自分自身が発したことを、
すっかり忘れてしまっているようなので、

彼女の名前だけは伏せ、敢えて、ここに転載させていただくことにします。

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「五月二十七日の苦しみ」
     四の一 ○ ○子
 昭和四十四年五月二十七日火曜日。一生わすれられない日。水泳教室からかえり、
「おなかがすいた。」
と、母にさいそくした。
「あついっ。」
とつぜんのできごとであった。わたしはすわっていたいすからおちて、たまごのおつゆのはいっているなべをおいた台との間に、左のひじからはさまった。そのひょうしに、なべが台からおちてきたのであった。
 母は、すぐ私をかかえて水道まで行き、うでにジャーと水をかけた。そして、着ていた長そでのセーターを切った。そして車に乗ってお医者さんに急いだ。
 お医者さんは、三日ぐらいは学校へ出てはいけないとおっしゃった。
 土曜日は三時間なので、学校へ行くことにした。みんなは校庭で朝会をしていた。みんなが教室に来て、なんというだろうと心配だった。みんなが来た。わたしを見て、
「やあ、○さんもうでてこられるようになったのかい。」
と、うれしそうにいってくれた。うれしかった。
 けれどのぼりぼうの方へ行ったとき、福田君が、
「やぁい、やぁい、やけど人間、やあい。」
といってからかった。とても悲しかった。
 私のやけどは、五年間ぐらいマッサージすれば、なおるそうなので、もうちょっともやけどをしたのをくよくよしないで、さきのことだけを考えるようにしている。
けれどやはり、やけどのことは考えたくないので、みんなにも、なるべく。
「気持ち悪い。」
といわないようにお願いしたい。
   (四五・一一・一四)
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名前の部分以外は原文ママ

作文中には“五年間ぐらいマッサージすれば、なおるそうなので”と書いてありまけど、
結局、その後ケロイドの痕は消えることなく残ってしまいました。。。

彼女の火傷という事故に遭ったことを知ったときには、
同級生の多くの人たちが、彼女の身体を心から凄く心配し気遣いの気持ちで一杯だった、
という当時の状況を今でも覚えています。

特に、女の子が一生、肌に痕に残るような傷を負う事故は、ショッキングなことで、
私は彼女とは、その学年時には、違うクラスでしたが、
私も彼女のことをとても心配したことを、記憶しています。

この記事を書いているうちに、当時の記憶が呼び覚まされてきたのですが、

やけどを負った女子本人の作文中には
「やぁい、やぁい、やけど人間、やあい。」
としか書かれていませんですけど、

実際は、そんな言葉以上に、もっと酷い表現で、福田君が彼女を揶揄していたことを、
私自身思い出しました。

一昨日、投稿した「福田和也くんの被害妄想-その4」という記事に、

《福田和也は、やけどを負ったその女の子のケロイドを指して、
「わぁ~い、妖怪人間!妖怪人間だぁ~!」
などと大声で囃し立てた》

と書きましたが、

この話を、友人から聞かされたときには、
あ~、そう言われてみれば、そんなこともあったなぁ~程度にしか、
思い出せずにいましたけど、

火傷を負った本人の当時の作文を、読み返しているうちに、
彼女が登校してきたときの情景が、ヴィジュアルとして断片的によみがえってきて…


彼女が火傷するという事故が起こった翌日、
朝会の時だったかに、担任の先生から、

○さんが火傷の事故に遭ったという話と、
ケガの程度(不幸中の幸いとして生死に関わるものではなかった)について、
そして、しばらく治療のため、学校を休むことになった、
○さんが、登校できるようになったら、
みんなで○さんに優しくいたわってあげるように、

というような旨の報告があったことを記憶しています。

長期間、学校を欠席することになるのか?と心配ていたところ、
意外にも、ほんの数日後、本人が皆に心配をかけない様にとの配慮からか、
いったん登校してきたので、

私はその時「無理して学校に来ずに、療養していればいいのに」
という想いが頭をかすめたことを覚えています。

その時、登校してきた○さんの姿の痛々しさは、
脳裏に思い浮かび出されます。

それは、
○さんの片腕が“指先まで”包帯で覆われ、三角巾で腕をつりさげている姿。。。

その痛々しい姿に、同級生たち(特に女子が中心となっていましたが)が、
各々、彼女に気遣う言葉をかけている最中、

指先まで包帯を巻きつけた状態で登校してきた彼女の姿を見て、

「妖怪人間・ベム、ベロ、ベラみたい!
 わぁ~い、妖怪人間。妖怪人間だぁ!」

てな、揶揄を彼女に浴びせかけた
性格が心底、捻くれたクソ餓鬼(男子)がいたのは覚えていたのですけど…

(まっ、それが、福田和也だったわけですが。)

そういうことを言いだしそうな、根性捻くれボウズという、
当時同級生だった男子は、複数名いたもので、
(1クラス40人前後、3クラス編成の、一学年の生徒数が、約120名程度のしかいない小学校です)
私の記憶の中では、それが福田和也の言動だったてなことは、
すっかり欠落してしまっておりました(^^;;;

TVアニメ『妖怪人間ベム』は、
1968年(昭和43年)10月7日から1969年(昭和44年)3月31日までフジテレビ系列にて、
放送され、人気も高く何度も再放送されていましたし、
ちょうど、私たちの世代では、オンタイムで初回の放送を見ており、
とてもインパクトの強いアニメであったため、
小学校内でも生徒の間で、とても流行っていました。

それを考えると時期的に、符合しているので、
「妖怪人間」って言う言葉で揶揄していたのは、
記憶違いではないと確信を持っていえますね。

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June 10, 2006

福田和也くんの被害妄想-その4

福田和也が、お茶の水付属小学校に在籍時代、女の子に虐められていた、
などという、事実無根の“被害妄想”を抱いているということを知り、
思わず、同級生の数名に、
「福田君がイジメられてたなんてこと、あったっけ???」
と電話で確認を取ったのですが、

皆さん、異口同音に、
「いやー、福田は虐められてたのではなく、女の子(特に弱者)を虐めていた側にいたよねぇ~」
と答えが返ってきました。

今、思い返すと、
福田和也は、かまって貰いたいがため、女の子を虐めていたようなところを
感じますが…

ただ、福田君が行なうイジメの手口というのが、
とても姑息というか卑劣なもので、
低レベルな内容の言いがかりや、喧嘩をヒステリックに一方的に仕掛けてくるものが殆どで、
中でも、彼の人間性そのものを疑ってしまうような、
言葉によるイジメも多く、、、、

具体的な一例を挙げましょう。。。

あるとき、同級生の女の子が大火傷を負うという事故があり、
火傷を負った部位が大きかったため、人目に触れる大きなケロイドが残ってしまったのですが、
彼女がようやく退院して、学校に通える状態まで回復して、
登校してきたときに、
福田和也は、傷を負ったその女の子のケロイドを指して、
「わぁ~い、妖怪人間!妖怪人間だぁ~!」
などと大声で囃し立てるという、非常識極まる言動をしたとのこと。
(↑これは、人から聞いた話ですが)

普通、まともな神経の持ち主であれば、そんな人の心を傷つけるような発言はしないですし、
福田君には人を思いやる神経と言うものが欠如しているとしか言い様がありません。

福田和也が発する悪口というのは、こういう手合いの誹謗中傷を弱者に向けて行なうというモノが多く、人から顰蹙を買うような、本質的に心根が腐ったイジメを行なうヤツで、
それをいくら忠告しても、自己反省を行なうことをしないので、
今では、もう誰も、彼に対しては何も本質的なことは言わないようになっています(^^;

結局、福田和也の性根が曲がった悪い癖は、矯正されずに現在に至っており、
だからこそ、自分(福田和也)が、数々のイジメを子供の頃に行なっていたのにも関わらず、
福田君の中では、「自分がイジメられていた」という妄想に、変換されてしまったのかと、
考えられます。

6月8日号の「週刊文春」に於ける、
「阿川佐和子のこの人に会いたい」というコーナーで、福田和也が騙っていたことは、
彼の妄想以外の何物でもなく。。。。

福田和也くん自身が、お茶の水付属時代に、
弱いものイジメをしていたことは事実として、
我々同級生たちの認識の中にありますが、
福田君がイジメられていたという事実はなく、
ホントは、そんな事実がないんだけれども、

阿川さんとの対談中に、
阿川佐和子さんから、
「なんでイジメられていたんですか。」
という質問に対して、福田和也が答えていた内容が、
私たち同級生から見て、頓珍漢のモノだったのには、唖然としてしまいました。

福田和也曰く、
「お茶の水の小学校はみんな公務員とか医者の子どもで、
全然生活感が違うわけ。箒で女の子を叩いたぐらいで怒られるんですから」
な~んてほざいていましたが、

これも嘘八百。

まず、お茶の水の小学校の生徒は、親が自営業を営んでいる子どもが多く、
福田君と同じような中小企業、しかも製造業を営んでいる家庭が多く、
福田君の生活レベルは、非常に、標準値的な、お茶の水の生徒だったということ。

医者の子どもも、確かに多く在籍していたし、公務員も多かったけれども、
医者や公務員だからと言って、その生活水準が、福田君のような中小企業の経営者より高いとは言えるものでは無い人たちのほうが多いくらいで、
なんで、そんなことに福田君がコンプレックスを感じるのか、まるで私には理解できないのです。

福田君の家庭よりも、生活水準が低い家庭の子どもは多かったと思うし、
彼は、一体何を勘違いしているのやら・・・

住んでる場所に関しても、福田君は勝手にコンプレックスを感じていたようですけど、
田端なんて、山手線の駅であり、
もっと、辺鄙なところに住んでいる子達が多く、
なぜだか、西武池袋線沿線に住んでいる人たちが多かったのが、
私たちの学年の特徴です。

この「週刊文春」で福田和也が述べている、お茶大付属の同級生に対する、
福田君が抱いているコンプレックスに関して、

福田和也の著書の一つの中にも(タイトルは忘れてしまったけれど)、
そういえば、同じような、内容が書かれていましたね。

「箒で女の子を叩いたぐらいで怒られるんですから」
っていうのも、嘘ですね。
福田和也は、小学校の頃チビで、しかもウンチ(運動オンチ)な子どもだったので、、
もし、女子を箒で叩いたりしたら、反撃を喰らい、
倍返しされて、ボコボコにされていたのがオチですから…(^^;

腕力や運動神経が女子にも劣っているということを福田自身が認識していたからこそ、
彼の女子へのイジメは陰湿な言葉の暴力に走っていたわけで…

福田君は阿川佐和子さんとの対談の中で、
意識的に、人を怒らせるようなことをやっていると述べてましたけど、
それって違いますね。
彼の悪口雑言は、福田和也の子どもの頃から身に染み付いてしまっている、悪い性癖であって、
計算してやっていることではないですよぉ~

みんな福田君本人に対して直接は言いませんけど、
お茶の水の付属時代の同級生たちは、男女を問わず、
福田君のそういう部分を、心の“さもしい人”と軽蔑しているのが、
現状です。

それは、兎も角、
福田和也君には、福田君のコンプレックスから生じているお茶の水の付属に対して、
被害妄想で、メディア上で虚言を吐いたり、書いたりすることは、
金輪際止めていただきたいものだと願っております。

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June 09, 2006

福田和也くんの被害妄想-その3

福田和也の著書の中に「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか」という書籍がありますが、
このタイトルを“もじって”「なぜ福田和也はかくも幼稚になったのか」というブログ記事を書かれている方もいらっしゃいますね。

私から言わせて貰うと「なぜ福田和也はかくも幼稚になったのか」ではなく、
福田和也は、元々、子供の頃から自らの“幼稚”を引きづりつづけ、
無駄に年齢だけを重ねつづけているだけです。

“幼稚になった”わけではなく、
福田和也は、一度も“大人”になるというイニシエーョンを
体験していないと思います(^^;
(彼の本質は、心が弱いから一生“大人”になることができない“哀れな子羊”なのです)

45歳も過ぎてまで、人として、“大人”になる切っ掛けがあっただろうにも関わらず、
一度も福田君が内面に抱えている“幼稚性”から一度も脱却出来ずに、
現在に至ってしまっている、
ということを、

福田君とは相反して、幼稚性から脱却するという儀式を経て、
ちゃんと“大人になった”彼の同級生の多くの人々は、
福田和也の未だ内包している“幼稚性”を、福田君の中に認識しています。

人(友人)から、叱ってもらえる内が、人生の中で有り難いことなのだと、
私は、思います。
叱ってくれる人が周りから誰もいなくなってしまった時、
それは人から見捨てられ手しまったと言うことと同意義であり、
とても淋しいことだと感じます。
(福田君って、そこのところ理解しているのだろうか?
否、理解できないままで入るのだろうと、
私は、予測していますが…(^^;)

「なぜ日本人はかくも幼稚になったのか?」という福田和也の著書は、
パラドックスにも似た、著作物だと私は感じています。

それは、敢えて説明する必要も無いことだと思いますが、
福田和也のような、幼稚性から抜け出ることが50歳を間近に向かえながらも、
“幼稚”のままの人間が、日本の文藝評論家の“論客とあがめ奉られている現状”こそが、
「日本人がかくも幼稚になったか」の答えとも言えるでしょう。

歪んだ性格の“福田和也”という人物を、暖かく抱擁してあげているのは、
福田和也が自らの妄想による“お茶大付属にて自分がいじめられていた”という妄想を
メディア上に吹聴していることさえも、容認してあげている寛大なる精神の、
お茶の水付属時代の彼の同級生たちの、福田和也に対しての
“憐憫”以外の賜物としか言えないのである。

福田和也氏は、もっとそのことを自ら“自省”の精神から自覚すべき事柄だと思う。

福田和也の、お茶の水付属に在籍していた頃の、
強者に対しては諂い、弱者に対しては、福田君の本質的な人間性に疑いを持つほどの、
“言葉”によるDM攻撃は、目に余る数多くの所業であったにも関わらず、
それを、公に公言しなかったのは、、、

福田和也を慮ってのことではなく、
彼と結婚した奥様や、お二人の間に成した、
福田和也の子供として生まれてきた、
お子さん方への配慮によるものであることに過ぎないのであるよ。

福田和也が独身であれば、公言することを憚ることなく心置きなく、
彼が(福田和也)幼少の頃に、
自分より(福田和也氏の主観に基づく)弱者として位置づく人たちに対して、
お茶の水付属在籍時代に、福田和也が行なってきた、
福田君の人間性を疑うような、下劣且つ卑屈な多数名“イジメ”の所業について、
多くのパッシングを受けていただろうと思いますよ。

福田君が家庭を築いているから、
福田君の遺伝子を継いで生まれてきてしまった子供達がいるから、
彼女達をを悲しませたくはないがためのみ、
心の奥底に溜飲し続けていた義憤があるのだよ>福田君!

福田和也が、お茶の水付属在籍中に、人間として許し難い“言葉”によるDM、
ドメスティック・バイオレンスを行なってきたのかということをを、公表してしまうと、
福田君の奥様及び、お子様方に、ショックを与えかねないので、
本当は、ブログ上では書きたくはないことなのですけど…。

「週刊文春」に、福田君が「小さい頃にイジメられて傷ついて」などという、
とんでもない、間逆の大嘘を公言されてしまっては、

福田和也から、一生トラウマを与えられるほどの、
非人間的な、暴言に傷付けられた女子が存在している事実には、
目をつぶる事は出来ないので、
今まで、黙ってきましたけど、福田和也の“とんでもない”話を書かせていただく、
決意を決めました。

その内容は、次回に続く…
(話を引っ張ってごめんなさいm(_ _)m)

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June 08, 2006

福田和也くんの被害妄想-その2

2006年6月8日号の『週刊文春』で、福田和也くんが、
お茶の水女子大の付属小学校で、彼(福田君)が“イジメられていた”なんてことを、
「阿川左和子のこの人に会いたい」という対談連載で、述べていましたが、
それは全くの事実無根で、その言いがかりって、
福田和也君の中から勝手に解釈している、被害妄想以外のなにものでもありません。

たしかに、福田和也君は、“イジメ”にこそ遭っていないけど、
多くの人から嫌われては、いましたね。。。

でも、
嫌われる理由は、彼(福田和也)自身に原因があって、
福田和也君の他者に対する言動に問題があったからに他なりません。

それは、どういう言動かと言うと、、、

彼(福田和也君)は何かにつけ、人に因縁を吹っかけてきたり、
沢山の人たちに悪口雑言ばかりを吐いて喧嘩を売ってくるという、
悪い癖が、子供の頃からあったのです。
心が歪んだ捻くれた“餓鬼んちょ”だったのです。
(今も、あまり当時と本質的なものは、変わらないような気もしますが…(^^;)

今になって、その当時のことを冷静に思い返すと、
福田和也君は、人とのコミュニケーション能力が低くいため、
そのような(人の悪口ばかりを言う)方法でしか、
他人とコミュニケーションを取ることができなかったためなのでしょう。

そんな方法でしか、人とコミュニケーションが取れないなんて、
視点を変えてみれば、可哀相な子なんですよ、福田君って。

そんな福田君に対しても、
子供の頃から心の広く、相手を思いやる心に満ち溢れている同級生が、
福田君の屈折した“心”を、読み取って(汲み取って)、
歪んだ福田君のいい面を、一生懸命探し出して、深い愛情(友情)で彼に接してあげるという、
仏様のような優しい心の持ち主が、数名、お茶の水には、存在しており、
福田君のことを“親友”として受け入れていた人たちがいました。

昨晩、福田君が小学校時代に書いていた文章や、福田君について叙述している文章を探すために、
思わず、小学校時代の作文集数冊を、ひっぱりだしたのですが、
ついつい、小学校の頃の思い出に引きづられて、
本来の目的を忘れて、読みふけってしまう事態に陥ってしまうことに…(^^;

その頃の人間模様や、同級生たちの、子供の頃と、約35年経過した現在とを比較したとき、
いろいろ思うところがあって、感慨深いものを感じてしまいました。

福田君に関する作文を書いている同級生は、一人しか見つけることができなかったのですが
(見落としがあったのかもしれませんけど(^^;)
その文中に、面白い、記述を見つけました。

「福田君とぼく」というタイトルで書かれていた小学5年生時の、
その作文の書き出し文は、

“福田和也という名前をきくと四年生までは、  いたずらばかりしていて、人の悪口ばかり言っている、にくたれしいやつだ!!  と思っていた。福田君がボクの悪口をいうので、にくらしくなり、  ぼくも、福田君の悪口をいう。  そして、福田君の足のおそいのを、りようして、にげる。  こういうことをして、いつも福田君に、仕返しをしていた”

とある。

その後に続く内容は、同じクラスになったことと、
この作文を書いた男子の友人が、福田君が当時つるんでいた男子生徒であったことが
きっかけとなり、福田和也の内面にもっている良さを見出し、
福田君と親友関係になっていく過程がかかれているのだが、

この作文を書いた主(彼は、私の晩婚仲間として30代によく飲みに行っていたとても信頼できる友人です(^^;)が、作文の後半部分にて、

“福田君が、すきになり、また、交際を  深めた。そして親友となった。  でも、親友となった以上、相手をほめているのが、  真の親友といえない。  相手の欠点を教えるのが親友としての、義務だと思う。  だから、改めて、福田君の欠点を言います。   まだ人の悪口をいうのが、直らない。   物のあつかい方が乱雑である。  この二つが、代表的なものだ。”

と書かれているのには、笑ってしまった。

結局、福田君が持っている本質は、そう簡単に変わるものでなく、
彼が、お茶の水付属時代に、嫌われる理由は、
言わずもがな。。。ということで(^^;;;

こういう輩とは、できるだけ関わりあいたくないというのが
小学生の女子が取る対応であるものなので、
福田君を“虐める”なんてことは、
ありえないのである。

福田和也の被害妄想は、いったい何処から来ているのだろう?
謎だ!

福田和也から、嫌がらせを受けた女子は沢山いるけれども、
加害者である福田和也から、

“お茶の水付属で女子にいじめられた”

などという、間逆な、被害者意識を勝手に持って欲しくないし、
「週刊文春」というメディアのインタビュー記事で、
そのような、一方的な

“嘘八百”

を掲載されるのは、迷惑千万!!!

福田君からの謝罪文を求めたいぐらいである。


福田和也君に関しての反論投稿記事は、まだ続きがあります。
また後日…(^^;;;

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June 07, 2006

福田和也くんの被害妄想-その1

お茶大付属小卒の長年の腐れ縁的な同級生の男友達から、
「福田(和也)が2006年6月8日号の『週刊文春』で、“笑える記事”を書いていたよ!
 立ち読みでいいから一度読んでみなよ」
と、

先日、福田和也くんの話とは、全く無関係な要件で、
A君から受けた、お茶の水付属での同級生だったT君のアプローチに対する対応について、
情報収集のため、電話をH君にしたのだが、
その時、H君が、私の聞きたかったT君の話題ではなく、
私たちがお茶の水女子大付属の時、同級生だった「福田和也」についての話題を、
H君が私に振ってきたので、
私にとっては、昔同級生であった「福田和也」なんて、私の琴線に引っかかる要素が皆無の同級生の話題について、時間を割かれるという無駄な時間(&電話代)を費やされてしまった(^^;;;

お茶の水女子大学付属の時から四半世紀以上(半世紀といっても過言ではないくらい)の付き合いであるH君から、
「現在発売中の6月8日号の『週刊文春』を是非読んでみて!」
といわれ、
全く興味はなかったのだけれども、本屋へ行ったついでに、
売れ残っていた6月8日号の『週刊文春』を、立ち読みしてみた。

「阿川左和子のこの人に会いたい」という対談連載で、
福田和也君が対談相手として取り上げられている記事だった。。。

お茶大付属の小学校時代からの同級生であるH君が、
「福田の記事は、笑わせてくれる」と言っていたのが、
どういうことを指しているのか、実際その対談記事を読んで、理解できた(^^;

この『週刊文春』の記事を読んで、
相変わらず、福田君って、
“狭窄的視野”しか持てない、お茶の付属に在籍していた頃と、
なんの精神的成長のない子なんだなぁ~。。。と、思い知らされた気分に陥ってしまったよ。

6月8日号の『週刊文春』の阿川さんとの対談で、福田和也くんが述べている言葉には、
彼にとって都合の良いように、“過去の自分の体験”が“大きく改竄されている”ことが、
沢山、読み取れる事柄が多々見受けられたことが、非常に気になった。

結局、福田君って、ある境地から上には、進めない状態にあるのね。。。
と…

その状況って、とても残念に思えて仕方がない。

福田君!せっかく手に入れた「その立場(地位)」、
もっと殊勝な気持ちで受け取れないのかねぇ~君。と私は言いたい。

目を覚ましなさいよ!福田君!

君の人生って、結局、一生目が覚めない(己のことを正しく判断出来ないまま終わってしまう人生なわけ?)自分を誤魔化ながら、その後の人生を終わらせるつもりなの?
と、福田君に問いたくなってしまう、対談内容の文面。

全然、己のことを“客観的に”捉えることが出来ていないじゃないのさ。

もっと本当に自分に自身を持てているのならば、
あんな“嘘”は書かけないと思う。
自分で、自分のことを、客観的に把握できていない証拠、福田君がお茶の付属で受けたと、
自らが感じていること事態に、己の脚色が混じっているのは、
福田君と同級生であった、お茶の水付属の幼・小から、
お茶の水に通っていた人たちには、お見通しであることに、
全く気がついていないのかしら?

もし、自らの“嘘”に気が付いていないのだとしたら、
“福田和也”は、甘ちゃんだなぁ~
としか言えないですねぇ~。

6月8日号の『週刊文春』の対談で福田和也くんが、
お茶大付属時代のことを書かれている内容は、
あくまでも「福田君の主観」であって、事実とは異なることを、
福田和也君が述べていらっしゃるので、
福田君と同級生であり、同じ時間を過ごした女子として、
福田君の、詭弁を、修正させていただきたいと、思っております。

具体的、内容については、別途、改めて投稿いたします。

P.S.
6月8日号の『週刊文春』の阿川さんとの対談文の、
お茶の水付属時代に関する、福田君の言い分および思い込みに対しては、
非常に腹立たしいものを感じたので、、、
お茶の水付属時代の“福田和也”の立ち位置に関して、
客観的な立場に立って、事実を公表させていただきたいと、思っております。

続きは、また後日…。

P.S.2
福田君がお茶大付属にて“イジメ”に会ったなどという事実はなく、
彼が、イジメをしていた立場であったことを、ここに断言いたします。
(私は、福田君からイジメ受けた被害者の一人でもあります(^^ゞ)

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May 30, 2006

「タモリ倶楽部」に中野正貴さんが出演していたのにはビックリ!

先週の金曜日(5月26日)の「タモリ倶楽部」に中野正貴さんが、出演していたので、
「おぉっ!中野さ~ん!」と、かぶりつきで見入ってしまいました。。。

というのも、中野正貴さんは、ムサビ時代の私の先輩であり、一緒にお仕事させていただいていたこともあり、、、、
(一緒にお仕事させていただいていたのは約20年弱前ぐらいの話ですが(^^;;)

毎年、年賀状のやりとりも行なっていたのですが、ある時、突然、彼(中野さん)の移転先が判らなくなってしまい、個人的に連絡が取れない状況に陥ってから10年ぐらいでしょうか?
それ以来、ずーっと中野さんのことが気になっていたのです。

まぁムサビから送られてくる会報で、多少、中野(正貴)さんの動向がわかることもありましたし、去年、“木村伊兵衛写真賞”を中野正貴さんが受賞されたことは、新聞の記事でも知ってはいましたが、直接、お祝いの連絡を取ることが出来ない状況になってしまっていたので、
それが、とても残念で、しかたがありませんでした。。。

てなことは、さておき、

ブラウン管越しではあるけれども、
“動いて、しゃべっている”中野正貴さんを、久々にお見かけして、
随分と顔つきが変わられてしまったことに、驚愕してしまいました。

昔の面影は多少見出せるところもあるのだけれども、
私の知っていた頃の中野さんとは、
どうしても結びつかないぐらい別人に感じてしまって。。。

単に歳をとったからということではなく、なんか全然、雰囲気が違ってしまっていて、
私の知らない間に、彼の人生(または内面)にどういう大きな変化が生じたのだろうかと、
なんだかとても気になってしまうのです。

人間の顔って、置かれた状況や経験によって、非常に変化するけれども、
声は歳をとってもあまり変わらないものなのに、
中野さんの場合、声まで変わってしまっていたので、
なんか凄く不思議な印象を受けました。

中野正貴さんに実際、お会いして話をしたいと、ここ5~6年前から、
切に願っているのだけれども…

-----------------------------------------------
●中野正貴―作品集
  

 

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May 25, 2006

「涼宮ハルヒ」の人気

「涼宮ハルヒ」シリーズのノベルズのアニメ化放送開始から、約2ヶ月が過ぎましたが、
アニメ化が決定した時から、TVアニメ版の実放送が3話目ぐらいの頃までは、
いたるところの書店で、原作ノベルズの「涼宮ハルヒ」シリーズの売り出し中の全巻が、
平積みで並んでいたのが、
第4話目ぐらいの放送の頃から、急激に売れきれ状態になっていき、
全巻揃って売られている店を殆ど見かけなくなってしまったのには、
ビックリしてしまいました(^^ゞ

最初のうちは「涼宮ハルヒの憂鬱」だけが売り切れていたのに、
今では、最新刊である「涼宮ハルヒ」シリーズの8巻目に当たる「涼宮ハルヒの憤慨」は見つけることができても、全巻が揃っている書店を見つけることが出来ない状況になっていて…

それが、ようやく先週末ぐらいから今週に入って、
ボチボチと更なる増刷がようやく開始され始めたようで、
現在発行されてる8巻まで全てが揃っている書店を一昨日久々に発見!

(思わず、全巻一気買いをしてしまいまったわたし…(^^;;;;)

でも、一気に大量の増刷をしているわけではないとのことで、
全巻を常に揃えておく状態にするのに苦心している、と書店の店員さんが話していました。

そのため、増刷されはじめているようなのに、
やはり、まだまだ、入手できないで入る書店がまだまだ多いようです。

書店で「涼宮ハルヒ」シリーズのノベルズを購入するのは、手軽ではなく、
ネットで購入するのが一番手っ取